祖母が認知症になるまでと、これからの事

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認知症が始まるまで 未分類

大切な人はいますか?パートナーだったり友人だったり、色々な大切な人がいると思います。
僕にとって一番大切なのは「家族」です。どんな事があっても、どんなになっても、やっぱり家族が一番大切だと年を重ねる度に強く感じるようになりました。

僕の祖母は現在、認知症と診断されて施設(ホーム)にいます。
会う度に「年を取ったなぁ…」と感じるのですが、今日は祖母について少し触れてみようと思います。

 

 

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僕にとっての祖母

 

僕の祖母は現在80歳をゆうに超えています。子供の頃の僕の家は夫婦共稼ぎで(それはつい最近まで続いていたんですが)、そういった事もあって育ての母は祖母だったと言ってもいいくらい面倒を見てもらっていました。
ご飯の支度、掃除、洗濯…。小さな頃に近くの公園に遊びに連れていってくれるのは、いつも祖母でした。

 

常に心配してくれた存在

 

一人暮らしをしていた時も、折につけては電話をかけてきてくれて「元気か?変わった事はないか?ご飯は食べてるか?」と心配してくれていました。とにかく優しく、いつも僕の事を思ってくれる人でした。

そういった事もあって、僕は母親以上に祖母に対して母親に対するような感情を持っています。

 

愛猫が亡くなった時

 

一人暮らしをしていた頃に飼っていた猫がいました。
僕はその猫をすごく可愛がっていたんですが、結婚し子供が生まれるにあたり飼えなくなってしまいました。
猫を両親と祖母の暮らす実家に預け、「外の世界を知らない猫だから、必ず家の中で飼うように」と念を押して家を出、家族も承知してくれていました。

しかし、いつしか猫は外に出されてしまっていました。それに対しては、自分も飼えなくなってしまったという負い目があるので責める事はできません。
でも、その猫にとって外の世界は危険が多すぎたんです。猫を預けて数週間後、「近くの土手で、猫が死んでいるがお宅の猫じゃないか?と」近所の人に教えられた祖母が見に行ってみると、それはまぎれもなく我が家の猫でした。

「死んでいるのが分からないくらい綺麗な死に姿だった」と僕に言ってくれたのが唯一の救いです。実際はどうだったのか今となっては分からないのですが…。

そしてその事が僕に告げられたのは、猫が亡くなって一週間も経ってからの事でした。
ある日祖母から電話がかかってきました。妙に神妙な雰囲気で。

 

祖母「あぁ、元気にやってるかね?」

僕「うん、変わりないよ。どうしたの?」

祖母「…いや…それがねぇ……」

僕「うん。何?」

祖母「………あのね……あんたに悪い事してしまった…」

僕「え?何かあったの?」

祖母「………いや……実はね……」

祖母の落ち込んだ感じがすごく伝わってきて、一瞬湧いた怒りはすぐに「祖母の感じていた罪悪感」に掻き消されました。責める事は出来ませんでした。

とにかく、優しい人だったんです。

 

同じ事を何度も言う事が多くなった

 

「最近、同じ事をよく言うのよ。」実家に遊びに行った時、母親が言いました。
「前から結構あるじゃん、そうゆう事。」と僕は今までにあったなんでもない事を話し、「ボケなきゃいいけどね」と母親と笑いながら話していました。

…確かに、何度も同じ事をいう事はありました。
「さっき聞いたよそれ!」「同じ事言わなくていいよ」等、家族は毎回祖母に言っていましたが、僕は話の流れの中で同じ話が出てきたりするので「あぁ、そうだね。」「ふーん」と相槌を打ったりしながら特に咎めるような事も気にする事もありませんでした。祖母と話をするのが単純に好きだったという事もありますが…。

認知症の始まりというか兆候は、かなり前からあったのかもしれません。でも、気付いてあげられませんでした。あまりに「元気で普通」だったから。

髪の根元に白髪が目立つようになったらすぐに自分で黒染めをしたり、毎日化粧をしたり。
掃除も綺麗にして元気で普通だったんです。

ただ、一箇所だけ「風呂の浴槽の側面あたりの掃除をしなくなっていた」ようでその辺りには髪の毛がよく落ちていたのは気になっていました。なんでここだけ掃除してないんだろう?というか。
「髪の毛落ちてたよ」と言って拾ったりしてたんですが…。

 

 

ある日、幻覚を見始めた

 

「なんか様子がおかしい。来てくれないか。」と母親からまた連絡がありました。
急いで行ってみると、確かに祖母の様子がおかしい。この体験は、とても複雑でしたし恐怖感もありました。僕の目の前の現実と、祖母の目の前にある非現実。何が起こっているのかを認識するのには十分な光景でした。

 

蟻の掃除をする祖母

 

跪いて険しい顔をしながら床を一生懸命拭いている祖母と、険しい顔でそれを見守る両親。
「…どうしたの?」と両親に尋ねてみると、「床を蟻が這っているらしい」というんです。
なんだよそれ…?と思いながら祖母にも聞いてみます。「どうしたの?」

祖母「床に蟻んこがいっぱいいるんだよ。いっぱいそこまでいて、掃除してもなかなかいなくならないんだよ。」

と言います。
もちろん、床は綺麗に掃除されていて蟻一匹いません。
でも、祖母には蟻の大行列が見えている。「どこから入ってきたんだろう…?ほら、あそこからあそこにまでズラーッといる。」と言っています。

「蟻なんかいないよ!もう止めろ!」という父親。
えらい事になったかもしれない…。と険しい顔をしている母親。

一旦、全員を冷静にしよう。そう思った僕はとにかく祖母を説得しようと思いました。
「蟻がいっぱいいるけど、オレも来たから後でオレが掃除しとくよ。もう遅いからとりあえず寝ようよ。後はやっとくから。」
と話すと、祖母は「大丈夫かなぁ…」と言いながら渋々ですが納得してくれてベッドへ向かいました。
顔はずっと険しい表情のままでした。その顔は怒りに満ちていて、初めて見る祖母の顔でもありました。

両親は、「後でそっちに行って話するから、部屋に戻っといて。オレが話してみる。」と伝え、部屋に戻しました。
僕は祖母と一緒に祖母の部屋に戻り、ソファーに一緒に腰かけて話を始めました。

 

 

新たな幻覚

 

僕「蟻はオレがやっとくから、大丈夫だよ。」

祖母「ほんとに?いっぱいいるから大丈夫かね…。」

僕「大丈夫大丈夫。」

祖母「そうかい…。なら良かった…。 !?!?」

 

急に窓の外を見る祖母。
その顔はまた、見る見る内に険しくなっていきます。

僕は意味が分からず窓の外に目をやってみました。
窓の外には、一本寂しく枯れて立っている柿の木。
すると、祖母が言います。

 

祖母「隠れてこっちを見てる!うちになんの用なんだ!!」

 

祖母曰く、柿の木の横に人が立っていて、家を覗き込んでいる。
家に何かするつもりかもしれない!と。
もちろん、街灯の明かりで見えるそこには何も無い闇と共に木が立っているだけです。

 

僕「…。大丈夫。オレが見張っとくから大丈夫。」

祖母「昨日くらいにも、寝てたら仏壇の部屋に真っ黒な男が入ってきたんだよ。仏壇の机の布を裏返して違う色にしようとするから、こらー!何をするんだ!って怒ったんだよ私は。」

僕「………真っ黒な男……昨日……」

 

表情に怒りを露わにしながら僕に説明する祖母の視線の先には何もなく、この頃には僕は少し涙目になってぶるぶると震えが来ていました。
…祖母には一体、何が見えてるんだ…。そしてそれはいつから見えていたんだ…。

幻覚を見ている。これが一番ショックな出来事でした。

正直に言えば、とにかく怖かった。怖くてその場にいたくありませんでした。
目の前にいる祖母は僕の知っている祖母ではなくなっていました。

努めてゆっくり落ち着いて話しながら、祖母をベッドに寝かせると両親の部屋へ行き、祖母が言っていた事を話しました。
「なんで急にそんな事を…」と原因が全く分からない両親。でも、一緒に話しながら分かったのは「今日、心臓の薬を飲んでからおかしな事(幻覚)を言うようになった」という事でした。

 

 

一気に認知症を進めたのはなんだったのか

 

両親と話した中で、祖母が患っている心臓病の「薬」が何かの鍵なんじゃないかという話になりました。
急遽親類を集めて「医者を変えるべきだ」という話し合いが持たれました。(うちの両親は共働きなので親類が祖母を病院へ連れて行っていた)

「祖母がずっと通っているし選んだ病院で、変えるのは先生に失礼」という親類と、「一度違う先生にも見てもらうべきだ」という僕ら家族。
意見は噛み合わずに平行線だったのですが、親類の一人の「一番大切なのは祖母の健康だから、やれる事をやってみるべきだ」という提案に従う形で違う先生の診察も受ける事になりました。

祖母が通っていた病院は小さな病院でしたが、そこで親類が先生に幻覚の事を話し「副作用とかがあるものなのか?」と尋ねてみた所、すごく不機嫌になられたそうです。それもあって違う先生の診断を受ける事に賛成したのもあるのかもしれません。
症状に関しても「あぁ、認知症、認知症。」とすぐに決めてしまったそうで。そんな所に祖母はまかせておけません。

※これは、本当に薬が原因だったのかそうではないのかは分かりません。ただ、確かに薬を飲まずにいた時や「薬を変えてから」は幻覚の症状は収まって二度となかったんです。進んでしまった認知症を後退させるには至りませんでしたが…。

しかし、やはり他の病院でも認知症は診断されました。

 

 

認知症を認め、受け入れられない家族

 

 

認知症を受け入れられない家族

 

認知症になってしまったものは仕方ありませんし、認知症になったからといって血の繋がった祖母ではなくなった訳でもありません。ましてや「何かしら劣った人間」になった訳でもありません。

僕は今までの兆候から薄々分かっていたのですぐに受け入れ理解する事ができましたが、受け入れられない人もいました。

母親が認知症になってしまった。
なんでこうなったんだ。
どうすればいいんだ。

そう、祖母の息子である僕の父親です。
母親曰く、ひどく落ち込んでしまったという事で、あまり今の祖母を見ようとしない所を僕は感じています。
変わってしまった母親を見て受け止めるというのは精神的に辛い物でもあるんだと思います。でも、逃げても何も状況は変わりません。むしろ家族が見捨てたら救いがないと僕は思います。
僕の名前を忘れても、僕は祖母を覚えてるじゃないですか。それでいいと思う。

割り切って気を持ち直すのにはいくらかの時間がかかるとは思いますが、あまりその時間が残されていないのも事実です。父親には、しっかり祖母と向き合って欲しいという気持ちがとても強いです。

 

 

認知症の施設に入る事になった

 

 

認知症と診断されて数か月後、両親が共働きであった事、そして祖母の年金で賄える事もあって施設に入る事になりました。
ここまでの間に葛藤が家族の中でかなりありました。これでいいのか?といった事です。察していただけるとありがたいです。

ちょうど一部屋だけ空きが出て、すぐに入れるという事と遠くない場所という事で決まったのですが、最初は不安でした。祖母も不安がっていましたし、僕も「どんな所なんだろう?」と。
施設に対して暗いイメージしかなかったからです。でもそのイメージは実際に行ってみて変わりました。部屋も綺麗でスタッフの方も優しく、何より静かな場所に建っていました。

 

 

雨の日の引っ越し

 

休日のある雨の日。引っ越しを両親と僕とで行いました。
雨の日の憂鬱感と、これから施設へ預けるという憂鬱感もあってあまり気分が乗らない中での引っ越しでしたが、父親だけにさせるわけにもいきません。
午前中から初めて夕方近くまでかかりましたが引っ越しを無事終えました。

不思議なのは、祖母はこの日の事を未だに覚えています。
「雨の中で引っ越しさせてねぇ、悪かったねぇ。」とたまにふと言うんです。
強い印象があった出来事というのは、覚えているのかもしれません。

 

僕を認識するが、名前を呼ばない

 

週に一回、15分くらいの時間を作って家族を連れて会いに行っているのですが、会う度に弱々しくなっているなと感じます。
僕の名前も、妻の名前も、2人の子供の名前も、もう祖母の口からは自分では出てきません。僕の事を自分の息子(僕の父親)の名前で呼ぶ事も多々あります。
一日一緒にいたいと思う事もありますが、子供が小さくうるさい事もあり体力を消耗させてしまうので、長くはいれないのが残念な所ではあります。子供を連れて行った時の祖母の顔は本当に嬉しそうで、毎回「大きくなったねぇ。」と喜んでいます。

たまには外食に連れて行ったりしようと思うのですが、「調子が良くなってから行こうかね。疲れるからねぇ。」となかなか実現しません。
どこかに遊びに連れて行ってあげたいけど、施設に入れた以上ある種の「祖母離れ」が僕にも必要なのかもしれません。

 

 

文字を書けなくなってきた

 

認知症の祖母の書いた文字

 

施設の壁には、入居者が自分で書いた自己紹介が貼られています。

祖母の自己紹介を見ると、「漢字が書けなくなった」「文字が書けなくなってきた」のが見てとれます。
昔は綺麗な文字を書いていたのですが、書けなくなっている事から、認知症が進んでいるんだなと毎回行く度に目で見て実感します。
素人目には、まだ軽い症状で済んではいるのですが…。

 

病院だと思っている

 

祖母は、施設に入った時から施設の事を「病院」だと思い込んでいます。
自分の体調が何度か悪くなった事があるから病院に入っていて、調子が良くなったら出れるんだと。

「まだ帰れないんだよ、まだ少しかかりそうだねぇ。」と行く度に苦笑いしながら言う祖母を見ると目が熱くなりますが、その度に僕も「まだ少しかかるよ。」と言っています。
これはついていい嘘なんじゃないか。と僕は自分で納得する事しかできません。

 

 

新しい友達

 

入居してから、うまくやれるのかな…?という心配もありましたが、顔を見に行く度に施設で知り合った新しい友達と楽しそうに話している祖母を見て、少し安心している所もあります。
比較的進行具合が緩やかな人のようなのですが、僕たちが行くと毎回挨拶をしてくれます。
新しい友達との刺激を受けて、少し元気を取り戻してくれている感じもするので家族としてはとても助かっています。

 

 

今後、認知症の祖母と会える時間

 

 

死ぬまでの間に家族と会える時間

 

祖母にあとどれくらい会えるんだろう?週に一回、15分くらいとして祖母があと7年生きたと考えてみると

1年=365日÷7日=52週
52週×15分=13時間

1年間に13時間しか会えません。
7年生きてくれたとしても祖母が死ぬまでに会える時間は91時間。
日数にするとたった4日足らずです。

7年もあってたった4日です。
時間を長くする事で日数は伸ばせますが、それでも実際に生きる時間を考えると10日もないかもしれません。

出来るだけ多くの思い出を僕も、家族も持っていたいし祖母にも持っていて欲しい。たとえそれが忘れられてしまうものでも。
そう思いながらも、常に最後かもしれないという思いを持ちながら会うようにしています。

 

 

認知症が進行する前に謝りたい事

 

認知症の祖母に謝りたい

 

祖母には謝りたい事があります。それは、小さな事です。
小さな頃、祖母に公園に連れて行ってもらう時に祖母が僕に言いました。

「遊園地に行こう。」

僕は「公園」でなく「遊園地」に行ける事に喜び、そして祖母の言う「遊園地」が「公園」である事が分かった時にとても駄々をこねて祖母を困らせた事があったんです。
※当時は広島にナタリーという遊園地があった。

「遊園地って言ったじゃないか!遊園地って!」

と散々駄々を捏ねる僕を見て、寂しそうな何とも言えない顔で見て困っていたのを思い出します。祖母には車の免許がありませんでしたから、連れて行くのは難しかったんです。
もし今その時に戻って僕を見たなら「婆ちゃんを困らせるな!」と、ひっぱたいてやりたい所ですが僕はタイムマシーンを持っていないのでそれは叶いません。

祖母は多分「そんなこともあったかねぇ。」と笑うでしょうが、僕の中で幼少期から今に至るまで長年「悪かったなぁ。」と引っかかっている事なんです。

駄々の捏ね方が尋常じゃなかった覚えがあるんですよね…。
この経験があるから、ドラえもんの「おばあちゃんの思い出」を見ると毎回へこみますし、目頭が熱くなってしまいます。

お互いがお互いを認識できる内に、話してみたい事です。

 

 

最後に

 

 

認知症は、誰にでも起こる可能性のあるものです。誰も悪くありません。
認知症と向き合ってしっかり受け止めて、それでもお互い生きていかなければいけません。

家族には長生きして欲しい。これはみんなが思う事でしょう。
想い出をたくさん残せるように。そしていざその時が来た時に、後悔や悔いは少なからずあるでしょうが少しでも悔いを残さないように。

日々思いながら生きていきたいと思います。