以前、知覧に行った事があります。
特攻隊記念館(知覧特攻平和会館)に行きたくて計画したんですが、圧倒されました。
楽しんで見るものでもないし凄い所に来たな…と複雑な心境だったんですが、太平洋戦争当時の日本では色々な特高兵器が考案され実戦配備されていました。
零戦を使った「神風特別攻撃隊」、
人間魚雷で体当たりする「回天」、
爆弾を搭載したボートで体当たりする「震洋」、
潜水夫が船を棒で突っつく「伏龍」、
そして、飛行機から有人の小型機を落とす「桜花」。
BAKAと呼ばれた特攻機
桜花は、母機である一式陸攻という戦闘機に吊るされた状態で敵艦に近付き、一式陸攻パイロットが桜花を切り離し落下させる。落下したら今度は桜花パイロットによりロケットエンジンを点火し桜花を加速させ、そのまま目標へ体当たりする…というものです。つまり、零戦での特攻と違い「一式陸攻パイロット」と「桜花パイロット」が存在します。
そして切り離された桜花のパイロットには戻る術はありません。着陸する術もありません。完全な自殺兵器であり、鹵獲し詳細に桜花を調査したアメリカ側はこの兵器を「BAKA(Fool)」と呼びました。
今の時代であれば「そんな呼び方ってないだろ」と思ってしまいますが、戦争当時のこと。そういう時代であった事が伺えます。
飛行機では群を抜いた速さ
アメリカ側はBAKAと蔑んだ呼び方をしましたが、落下とロケットでの推進力をプラスしたスピードに悩まされる事になります。
当時の戦闘機の最高速度をいくつか比較してみます。
一式陸攻 | 479.7km |
零戦 | 572.3km |
桜花 | 648km(急降下時1,040km) |
F4 | 515km/h |
F6 | 612km |
※データはWikipediaより引用
速度が速すぎて発射されてしまうと迎撃が困難。そんな恐ろしい兵器でもあったようです。が、肝心の母機である一式陸攻が鈍重であったために桜花を発射する前に母機共々撃墜されてしまう。という事の方が多かったといいます。
桜花自体のスピードはすさまじかったので、その後10年以上経って戦後飛行機が音速を超える研究の手助けになったとも。戦争が技術を進化させた一例かもしれません。
桜花の考案者は戦後逃亡
発案者である大田正一なる人物は、終戦直後に「東方洋上に去る」という遺書めいた物を残して練習機で茨城県の基地から飛び立ちます。大田の行動に多くの人が「責任を感じて自決したんだろう。」と思うも、なんのことは無く、離陸後に向きをくるりと北海道方面に変えて海上に不時着。
漁船に救助され北海道に逃げ込み、戦後のドサクサに紛れて名前を変えて生き残ります。家庭を持ち子供をもうけ、1994年に死亡。山口県上関町出身。
戦時中は桜花の搭乗員の命を軽視していたといいます。
そんな知識を元に見る「ザ・コクピット 音速電撃隊」
以上の知識を元に桜花を扱った松本零士氏の「音速電撃隊」。
漫画をOVA化した約25分のアニメですが、桜花がどんな兵器だったか?敵戦艦に辿り着く事がそもそも困難だったこと、護衛機が全く足らなかった事などがすごく分かりやすく描かれています(アニメで誇張されている描写もありますが)。
一式陸攻パイロットの言葉、
「司令部では【桜花を投下したら陸攻は速やかに帰り再び出撃せよ】と言っているが、今日まで起居をともにした部下が肉弾となって敵艦に突入するのを見ながら自分たちだけが帰れると思うか。そんなことは出来ない、桜花投下と同時に自分も目標に体当たりする」
という言葉が胸に刺さります。桜花に乗る「死」が確実なパイロットはもちろんですが、陸攻に乗る人間にとっても同じく死を覚悟した任務でもあったようです。
桜花パイロットは終戦までに55名が戦死、母機である一式陸攻搭乗員は6倍以上の365名が戦死と記録されています。